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プロフィール

百海

Author:百海
百海(ももみ)と申します。ホミンペンです

この世の果て 完



チャンミンは全身が映る鏡で
自分の服装をチェックした

かつて、ユノの前でよく着ていた服を選んだ

白いコットンのパンツに紺色のセーター
ベージュのダウンジャケット

この組み合わせはユノと少しカジュアルに出かける時に
よくしていたスタイルだ


思い出してくれるだろうか


自分を愛してくれたことを思い出すだろうか

ユノを失ってからその面影を消すために
ユノの持ち物はすべて処分してもらった

けれどこの1週間かけて、部屋を整えた

リネン類もいいものに替えて
ユノのサイズのスーツとシャツ、靴をいくつか揃えた

カーテンも明るい色に替えて
ユノの記憶が戻り次第、すぐに一緒に住めるように整えた



緊張しながらも
チャンミンは車を走らせ、ユアンが住む
そして、自分が買収してリゾートにしようとしている
海辺へと向かった

ここで少しユアンと話をしたら
その後に自分の家にユアンを連れて行こう

自分が育った家を見たら
記憶が甦る可能性もある

医師に問い合わせたところによると
記憶障害はある日突然にすべてを思い出すことがあるという

チャンミンは期待した

ユアンに指示された駐車場に車を停めると
チャンミンはスマホで連絡をとった


ドキドキした


すぐにユアンが出た


「今どこですか?」

その声に既に涙が出そうだ

「駐車場に着きました」

「目の前に、定食屋が見えませんか」


チャンミンの目の前に
海産物を食べさせる古びた食堂があった

「その中に入って来てください」

「はい」


やたらと重いガラス戸を押し開けて中に入ると

外見よりは清潔感のある店内だった


「いらっしゃい」

ユアンが頭にタオルを巻いた状態で
ニッコリと微笑んでいる

日焼けした顔に白い歯が眩しい


グレーのパーカにジーンズ
ベージュのツイル素材のエプロン


チャンミンを出迎えたのは
ユアンだけではなかった

そこには白い髭をたくわえた老人と
ユアンよりいくつか年上の男性もいた

「いらっしゃい」

ユアンが中から出てきて、チャンミンの真ん前に立った
そして、小さな声で言った

「みんな、社長だって知らないから大丈夫」

「あ…」

「名前はなんて言うんだっけ?」

「チャンミン…シム・チャンミンです」

「チャンミンって呼ぶけどいい?」

「は、はい…」


ユアンに名前を呼ばれて、胸が苦しくなった

チャンミンはその背中に抱きついてしまいたい衝動にかられた

「じいちゃん、兄さん、これチャンミン。
俺の友達」

「そうか、いつもユアンが世話になってます」

「あ、こちらこそ」

チャンミンは頭を下げた

奥のテーブルにはユアンの友達らしき若い男が何人かいて、ゲラゲラと笑いながら話をしている

なんとも明るい雰囲気だ


「座って、昼飯まだだろ?
残り物だけど、海鮮鍋作ってやるから」

「いいんですか?」

「後で海辺を案内するから
まずは腹ごしらえ」

そう言って、さわやかにユアンは笑った

ご馳走になった海鮮鍋はとても美味しくて
チャンミンは何杯もおかわりをしてしまった

「あんた、細いのによく食べるね
作ってるこっちも嬉しくなるよ」

その食べっぷりに
ユアンの家族も嬉しそうだった

「ほんとに美味しかったです
こんなに美味しい海鮮鍋はたべたことがない」

「それはよかった」

「いつでも、食べに来てね」

「あ、はい…」

ユアンがエプロンを取って
チャンミンの元に来た


「そろそろ行こうか」

「はい」

「ちょっと犬も一緒にいい?」

「犬?」

「散歩に連れて行かないといけないんだ
犬は大丈夫?」

「あ、はい…」

ユアンは奥の中庭から、大きなゴールデンレトリバーを
連れ出してきた

「テグっていうんだよ、名前の通り
大邱で生まれたから」

「そうなんですか」

「カンタンに名前つけられちゃってさ」

ユアンは可笑しそうに笑う

テグは、散歩に連れていってもらえる予感から大はしゃぎで、狂ったように尻尾をふってユアンにまとわりついている

ユアンがリードをしっかり握ってチャンミンに微笑む

「こっちから行こう」

海辺へ渡るための横断歩道を渡り
砂浜へと続く石段を降りる

テグをつれて降りていくユアンについて
チャンミンも石段を降りた

「チャンミン」

「……はい」

そうやって名前を呼ばれると
心がつらい…

「ここが、チャンミンたちがリゾートにしようとしてる
砂浜だ」

「……」


遠くに岬が見えて、その端から蛇行しながら砂浜が続いている

美しい曲線

調査班から見せてもらった映像より
素晴らしい砂浜だ


リードを外してもらったテグが解放されて、
砂浜を元気に走り回っている

寄せてくる細波を待っていたかと思えば
叩きつける波から逃げようと走る

時折、ユアンのところに戻っては
甘えたような顔をするのが可愛い

「こいつさ、自分が遊びに夢中になってて
俺がいなくなってしまわないかどうか、確認しにくるんだよ」

「可愛い
あなたの事が大好きなんですね」

テグはユアンの笑顔をペロペロと舐めると
また海へと走っていく


「ここをプライベートビーチにされたら
ウチの定食屋は潰れるし、テグの遊ぶ場所はなくなるし
しかも観光客のゴミで溢れ返る。
それに…漁師たちがもうここで漁ができなくなる」

それは十分にわかっていた

チャンミンは少し俯いた

「ウチだけの事情じゃない
一家でここを離れなければならない家族が出てくる」

金で…解決する案件
それで処理をした記憶がある

「ここを離れる家には、金を払うんだろ?」

「あ…えっと…そうですね」

「一時的に金をもらっても
漁師しかしたことない連中なんだ」

「……」

「ここで生まれ育って
海と共に生きてきて、そんな連中がよそで何かはじめても
上手くいくわけない」

「そうでしょうか
それなりの金額だと思いましたけど」

チラッとユアンがチャンミンを見た

「金さえあれば、誰もが幸せになれると思ったら
それは違うよ、チャンミン」

「わかってます」

「そう?」

チャンミンはユアンを見た

潮風が少し強く吹いている

「生きていくのに、何が大切か
僕は…わかっているつもりです」

「へぇ」

チャンミンは少し拗ねたような顔になった

「あんたも…大変なんだろうね」

ユアンの低い声が優しい
記憶を失ってもユノが優しいのは変わらないんだ

そう思うと、嬉しいような悲しいような
複雑な気持ちになった

「……」

「俺が、開発に反対するのに音頭とったりしてるのは
恩返しなんだ」

「誰への?」

「この村。
記憶を失って山から彷徨い歩いてきた俺を
この村は快く受け入れてくれたんだ」

自分は何もできなかった…

そうチャンミンは思った


「ユアンさんは何が大事なんですか?」

「大事なもの?」

「そう」

「俺さ、船がほしいんだよ」

「漁船?」

「そう、高いんだよ船って」

「……」

「でも、頑張って働いて、自分の船がほしい
みんなみたいに自分の船で漁に出たいんだ」

「……」

「それが、今の俺の夢
生きていくために必要なのは…夢だ
俺はそう思っている」

夢…

ユアンは、潮風を浴びながら
遠くを眩しげに眺めている


綺麗な横顔

口元の小さなホクロ

輝く切れ長の瞳


チャンミンも潮風に吹かれながら
夢を語るユアンの横顔を見つめた

ユアンとユノ

同じ人なのに、まったく正反対の人間に思える
でも、やはりユアンはユノだ

かつて

ユノの口から…「夢」なんて言葉を聞いたことが
あっただろうか

果たして

ユノに…夢なんて…あったのだろうか


わがままで、自分勝手な僕を
ずっと守って愛してくれた

それでもユノは幸せな日々だったと
そう信じている

でも

僕は知っていた


ユノの苦悩を

僕を愛してくれるあの笑顔の裏に
優しいユノだからこその苦悩

犯したくなかった罪

自分を守るために強くなければと決意していたユノ

次々と犯罪を重ねる自分を許して.庇おうとしていたユノ
どれほど苦痛だっただろうか

結局、これ以上チャンミンが罪を重ねないように

ユノの人生を…その命をかけて

すべてを終わらせようとしてくれた

そんなあなたの夢はなんだったのだろうか


「お前は俺の命だ」

そう言って微笑んで
最期のキスをしてくれたあなたに

夢はあった?



ユアンがテグと遊び始めた

2人でバシャバシャと波打ち際で
ジャレ合っている

明るく笑うユアンの声と
テグの吠える声が青空に響き渡る

ユアンは眩しい

ユノ、あなたは、やはりとても綺麗だ


もし


もし、今ここで僕がユノを目覚めさせたらどうなる

すべて話してみようか
思い出すかどうかは別にしても

ユアンがユノに戻ったら

きっと、僕のところに戻って来てくれるだろう
ひとりにしてごめんと、申し訳なさそうに
謝ってくれるだろう


チャンミンはギュッと握り拳を握った

言おうか…

あなたの過去を知ってると

言ってみようか…



チャンミンの喉のすぐのところまで
そんな言葉が出そうになった


けれど

ユノはまたひとつ苦悩を重ねるのだ

僕のすべてを終わらせようとした事実

僕はユノに感謝しかないけれど

あのとき命を失わずによかった
生きていたからよかった、なんて
ユノはそんな風に思わない

きっと、苦しむ

そして、漁船を買うなどという夢を
あっさりと捨てるだろう


ユノ

僕は…いつまでも

あなたにそんな風に眩しく笑っていてほしい

もうあなたから、謝られたりしたくない


今は…そう思える


あなたの切なく苦しむ姿は


もう…見たくない


ユアンが息を荒げて戻ってきた


「もう、こいつさ、すごいんだよ
こっちがヘトヘトだ」

ユアンは岩の上、チャンミンの隣に腰掛けた

頭のタオルをとって、顔を拭く


「ユアンさん」

「ん?」

チャンミンはユアンに顔を向けてニッコリと微笑んだ

「リゾート開発の話は
一旦白紙に戻そうと思っています」

「え…ほんと?」

「わかりません、僕1人では決められない部分もあるので
ただ、ユアンさんの悪いようにはしないつもりです」

「チャンミン…」

「あの海鮮鍋がもう食べられなくなるのは
喜ばしいことではないです」

「なんだよー」

ユアンは笑った

「そんな簡単に決められないだろ」

「でも、僕は社長なので」

そう言って、チャンミンはいたずらっぽく
笑ってみせた


ユアンはチャンミンの笑顔を目を細めてながめた

「俺さ」

「はい」

「記憶まったくないって言ったけど」

「……はい」

「おぼろげだけど…弟がいたと思うんだよ」

「………」


チャンミンが真剣な顔でユアンを見つめた

「よくわからないけど
とにかく可愛いと思った気持ちと
小さくて柔らかい手の感触だけ、覚えてる」

「……」


「実際わかんない、俺の捜索願も出てないみたいで
本当に家族や弟がいたかどうかわからないけど」


「でも、弟を可愛いと思った気持ちは
覚えてるんですね…」

「ああ、覚えてるんだよ」


ユノ


僕はもうそれで充分


あなたがそれだけ覚えててくれて

僕は本当に幸せだよ



「僕はそろそろ帰ります」

「え?もう?」

「はい」

テグがキョトンとチャンミンを見つめる

チャンミンはテグの頭を撫でた


ユノをよろしくね

君が僕の代わりに

ユノの側にずっといてあげて


チャンミンは立ち上がって
大きく伸びをした


ユアンも立ち上がって
少し困惑した顔でチャンミンを見た


「また、来るといいよ
海鮮鍋食わしてやるからさ」

チャンミンは満面の笑で
ユアンを見た

「ありがとうございます
でも…」

「……」

「僕はもうここに来ることはないです」


そう言って微笑みながら
波を見つめた


「ユアンさん」

「ん?」

「ひとつだけ、いいですか」

「うん」


チャンミンはユアンに向き直った


「もし、いつの日か
あなたが僕に会いたくなる日が来たとしたら」

「……」


「僕はあなたに感謝の気持ちしかない」


「……」


「今日、僕がそう言ったことを
どうか思い出してください」

「…感謝」


「そうです
僕は…あなたに感謝の気持ちしか…ないんです」

「よくわからないけど、わかった」


フフっとチャンミンは笑った


さようなら

幸せに


そしてチャンミンは


1人海辺から離れた


駐車場に停めた車に乗ろうと振り向くと
ユアンとテグが道路の向こうからチャンミンを見つめている

「チャンミン!」

ユアンが叫ぶ

「もう来ないとかさ!そんなこと言うな!」


笑顔のチャンミンの頬に
涙が流れ落ちる


ここなら

ここなら泣いていい

ここならあなたから
僕の涙は見えない


さようなら

僕の大好きなヒョン


いつか必ず夢を叶えてね


チャンミンは後手に手を振りながら
運転席に乗り込んだ


そして、チャンミンはユアンとテグに見送られながら
海辺を後にした


僕らがいつも言っていた

「この世の果てまで一緒だ」


この世の果ては地獄だと思っていた


けれどユノ

実際に来てみたらね

そこにあったのは地獄ではなく


あなたの夢と

そして、あなたの幸せを願う僕がいたよ





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こんばんは百海です

長いお話を最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました

まずは、たくさんのコメントや拍手をいただいていたのに
お返事をせずに本当に申し訳ありませんでした。

コメントはひとつひとつ楽しみに読ませていただいています
本当にありがとうございました。


前にもお話したのですが
あの「百夜行」の雰囲気が好きで書き始めたお話です。


お互いがお互いの太陽だった


ユノにとってはチャンミンが

チャンミンにとってはユノが

そしてドンホにとってはチャンミンが


それぞれが雪穂であり、亮司でした


本当は、海辺にいくまでに3話くらいあったのですが

最後がぼやけそうで、1話にまとめました

はじめての終わり方で
なんども書き直したのですがいかがでしたでしょうか。

終わりのパターンも4つくらいありました

ユノがチャンミンを思い出す
というのもありました

チャンミンが最後までサイコパスな雰囲気で
というのもありましたw

でも

この終わり方がなぜかしっくりきた感じです。


また、お話を描くと思います
今度はちょっと可愛いお話のつもりです

またよろしければ
遊びにきてくださいね

私が楽しんで書いたお話が
みなさんのちょっとした息抜きになってもらえたら
こんなに嬉しいことはありません

本当にありがとうございました


この世の果て 39



殺風景な会議室に1人待つチャンミン

なかなかイ・ユアンは姿を見せない

どうしたのだろうか


窓の外を見ると
いつものビルばかりの風景だ

見慣れたこの景色は
ついこの間までグレーのデッサン画のようにしか見えなかったのに

今日は色づいて見えるから不思議だ


コツコツとノックの音がして
チャンミンはハッとした

「ど、どうぞ」

さっとドアが開いて
ユアンの長身が覗く


「…失礼します」

「あ……」

チャンミンは慌てて、オフィス机の方にユアンを誘導した

「座って…ください」

「はい」

どこかユアンが無表情に見えるのは気のせいだろうか


ユアンが椅子に座ると、
少し戸惑った後、チャンミンはユアンの真正面に座った

ユアンとしっかり向き合いたいという
チャンミンの意志の表れだ

ユアンはひとつため息をつくと
半分呆れたような口調で話し始めた

「正直申し上げて、こういうやり方はよろしくないのでは?」

「こういう…やり方?」

ユノがいきなりこれまでの事について話をするのかと思い、チャンミンは心臓がドキッとした

「言った言わないの話になるので
第3者を挟むべきだと言っているのです」

あ…

チャンミンはひどく落胆した

そういうことか
いや、そうだろう

自分は何を期待したのだろう

ユノがいきなり自分の名前を呼ぶと思ったのか

ユノが「お前をひとりにしてごめん」と言ってくれると思ったのか

そして、ユノが「もう心配しなくていい」と抱きしめてくれるかと?


けれど

期待した言葉は何ひとつ出てこなかった


何も答えず、悲しげに自分を見つめるチャンミンに
ユアンは少し戸惑った

話に聞いていた社長と少しイメージは違った

冷酷で自分の希望を通すためにはどんな酷いやり方も辞さない
ドライでクール、情に訴えても到底状況は変化しない

そんな風に言われていたのに


目の前にいる、このどこかの皇太子のように綺麗な若き経営者は

まるで小さな男の子のように
不安げで、そして悲しそうだ

チャンミンは、ユアンを見つめた

「公式なお話はしないので、安心してください」

「公式な話をしに来たのです。
それ以外の話が私とあなたの間にありますか?」

僕らの間には
話すことなんて何もないのだ


今のチャンミンにとって
突き放されたようなその言い方が
大打撃となって、心を襲った

また、泣きそうになるのをグッとこらえて
チャンミンはユアンを見つめた

「すみません」

消え入りそうな小さな声

「……」

次第にユアンはチャンミンのことが
少し可哀想に思えてきた

もしかしたら、この男はただのお飾り社長で
実は敏腕な側近が裏でこの王子様を操っているのではないだろうか

「あの…公式な話以外になにか話したいことがあれば
そちらからどうぞ」

ユアンの声は少しだけ優しくなった

それがチャンミンにとってはまたユノを彷彿とさせて悲しくなってくる


「イ・ユアンというお名前は…」

「名前…ですか?」

「はい…」

「名前がどうかしましたか?」

「いや、その…」

「あ、もしかして」

「はい?」

「調べましたか?私のこと」

「あ、いや…」

「そりゃ調べますよね?
それなら、記憶障害のことも?」

「あ、はい…」

「それについて、聞きたいですか?」

「はい!ぜひ…」

急に身を乗り出してきたチャンミンに
ユアンは驚いた

記憶喪失ということに
単純に興味があるというだけか


「2年前にこの村に来ました
名前は、引き取ってくれた家の息子さんの名前です」

「息子?」

「海へ出て行って帰ってこなかった息子さんの名前」

「はぁ…」

「記憶がなかったんで
自分が誰だかわからないし、もちろん名前も」

「なにも…思い出せない?」

「はい」

「そう…なんですか…」


「戸籍もなにもわからないから
とりあえず、そこの息子さんになりすましてます。
こうやってテレビに出たりすれば、昔の知り合いなんかが
何か言ってくるのかなとも思ったんですが。」

「何も…言ってこないですか?」

「はい」

「何も思い出せないですか?」

「はい」

「……そうですか…」

「よくドラマなんかで記憶喪失なんていうと
何も覚えてないのに、なんでお前は箸の持ち方を知ってるんだ?なんて突っ込んだりしてましたけど」

やっとユアンは少しだけ微笑んだ

「ほんとに、見事に過去の出来事や自分のことが
まるでわからない」

「そう…なんですか?」

「字もかけるし、料理もできるのに
それを、どこで習ったかわからない」

「……」

「それでも、あの村を蔑ろにしていいかどうか
善悪の判別くらいはつきますけどね」

言葉の最後に、ユアンはチャンミンを睨むように見つめた

今は闘争体制にないチャンミンは
それについては何も答えなかった

なぜなら、村のことは興味がないからだった

チャンミンが興味あるのは
ユアン自身の事なのだ

「おぼろげに何かこう…昔の景色が思い浮かぶとかも
ないんですか?」

「……」

「すみません…」


「今度はこちらからいくつか質問してもいいですか?
公式なことは話しません」

今度はユアンの方からチャンミンに聞きたいことがあるという

「僕にですか?あ…はい!どうぞ
どんなことですか?」

「なんか…」

「はい!」

「あなたが聞いていたイメージとかなり違うので
正直面食らってます」

「…冷酷で…無慈悲だと…」

「そうですね、敏腕で統率力もあると」

「……」

「いや、別にいいんですが
最初の返答文書もそんな感じだったので」

「そういう…振りをしているだけです」

「ふり?」

「すべての人と距離を置いて生きています」

「なぜ?」

「え?」

「なぜですか?
お金もあって、その容姿なら
いくらでも楽しい生活ができるだろうに」

「興味ないんです
楽しい生活とか」

「そう…なんですか」

「……」

「あと、もうひとつ聞いていいですか?」

「あ、はい!」

「やっぱりどうしても気になる
なぜ、今、私だけを1人呼んで、私たちはまるで
これから友達になる、みたいな会話をしてるのか」

「……」

「さっきは、かなり興奮されていましたけれど
もしかして…私をご存知とか」

「いえ、それはないです」

「そうですか」

「ただ…」

「?」

「亡くなった…兄に面影が似ていて」

「私が?」

「…はい」

「へぇ」


「僕は…兄が…大好きだったものですから…」

「でも、亡くなったのですか?」

「はい…大好きだったのに
僕1人を残して…亡くなってしまったんです」

「そうでしたか…」

チャンミンはまた感極まって
その大きな瞳に涙が溢れ出した

「あーちょっと、また泣く」

ユアンは慌てた

ユアンは立ち上がって、誰かを呼ばなければと
部屋を出ようとした


「あ、すみません、大丈夫ですから」

「ほんとですか?」

「はい」

「そんなに…好きだったんですね
お兄さんのことが」

「…はい」

ユアンは少し躊躇しながら
ためらいがちに話だした

「あの…」

「……」

「よかったら、一度見に来ませんか?
私の村を」

「え?」

「公式でも非公式でも、そんなのどっちでもいいです。
どうか社長もスーツなんか着てこないで、普段の村を見て欲しいです」

「……」

「無茶なお願いかもしれないけど」

「……」


「亡くなったお兄さんを思って
涙するような人なら、一度見てもらうといいなと思いました」

「……」


「それでも、社長がやっぱりここはリゾートにしたほうがいいと言うなら、もう少し話し合いましょう」

「どういう意味ですか」

「社長なら、村の人々の悪いようにはしないような
そんな気がしたからです」




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百海です

明日は最終回となります


この世の果て 38



チャンミンはいつになく緊張していた

今日ははじめて、イ・ユアンと対峙する日だ

グループの社長が開発反対派と直に会うなんていかがなものかと、社内ではそんな意見が多かった

けれど、反対派の方としてみれば
敵の将軍が自ら出向いて来る、ということなら
こちらも誠実に向き合う、という心づもりでいた

会社の大きな会議室で対峙することとなった

思ったより大勢でおしかけてきた反対派のほとんどを
外に出して

チャンミンは反対派の幹部だけを
会議室に通した

イ・ユアンはさっぱりと髪を切って
スーツを着ていた

そんなユアンが部屋に入って来る様は
まさに、ユノそのものだった

やはり、ユノだ

僕は…見間違えたりしない



唖然としたチャンミンは椅子に座ることもできず
ユアンを見つめたまま、立ち尽くした

懐かしくて、愛おしくて
今、自分がどんな立場で、何をしているのか
忘れそうになる


ユアンを先頭とした幹部3人は
棒立ちになっているチャンミンを前に

椅子に座るわけにもいかず
ただ立っているしかなかった

相手方の若い社長の様子がおかしい

そんなことを考えながら

反対派の3人はチラリとお互いを見やりながら
仕方なくそのまま立っていた

チャンミンから驚いたような視線を浴び続けていたユアンは少し咳払いをした

見かねた側近が、チャンミンに耳打ちした

「社長、とりあえず席につかれたほうが」

ハッとしたチャンミンも咳払いをひとつした

「どうぞお座りください」

チャンミンの一言で、ようやく会談という状況になった

一同席について
チャンミンから順番に挨拶をしていく

ユノは…

「イ・ユアンです」

としっかりと挨拶をしていた

少しだけ、肩を落とすチャンミン

そんな事は知るよしもなく
ユアンが早速口を開いた

「今日は話を聞いてくださるということで
お時間を作っていただき、ありがとうございます」

「………」

チャンミンは手元の資料を見ることもせず
じっとユアンを見つめていた


ヒョン…

僕の愛するユノ…

間違えるわけがない

だって、僕たちはずっと一緒に過ごしてきたんだ


「お手元の…資料を見ていただきたいのですが」

ユアンがチャンミンの視線に負けずに
説明をはじめる

ユアンが何を話しているのか
チャンミンにはまったく理解ができない

その懐かしい声ばかりに意識がいって
内容など入ってこなかった

ページをめくるその指

あたりを見回すその視線

しっかりと抱きとめてくれた
その広い胸

すべてがチャンミンの命を震わせる

ホクロやちょっとした傷痕も
まさにユノそのものだった

何か、硬い話を告げているその唇は

かつて、自分を大好きだと
愛してると語ってくれた唇だ

ユノ

愛してる

今なら思う

もっと愛してると言えばよかった

ちゃんと言ってあげればよかった


そう思った途端


チャンミンの瞳には涙が溢れだして

身体が震えだしたかと思ったら
嗚咽が止まらなくなってしまった

苦しそうに、けれど激しく泣き出したチャンミンに

まわりは騒然となった


ユアンも、資料の説明をやめて
席を立ち、チャンミンの様子を見にきた

「大丈夫ですか?」


苦しさで声の出ないチャンミンは
ユアンが側まで来たことで
また烈しく泣き出した

「ううう…う…うう…」

まるで子供が泣きじゃくるように
チャンミンは泣いた


今まで泣きたくても泣けなかった

泣いたら、ユノはもういないのだということを
認めてしまうことになる

だから

泣くのを我慢していた


机に突っ伏して泣きじゃくるチャンミンを
秘書たちがその両腕を抱えて
会議室から連れ出そうとした


「ううう…大丈夫…です…このまま」

この部屋から連れ出されてしまったら
もうユノには会えなくなるんじゃないか

そんな恐怖がチャンミンにあった

「大丈夫…このまま…」

連れ出そうとする側近と嗚咽に苦しむチャンミンが
ガタガタと無様な姿を晒していたけれど

ユアンが泣きじゃくるチャンミンに声をかけた

「ここで待っているんで。
落ち着いたら、また話しましょう
とりあえず、落ち着くまでどこかで休んだほうが
よさそうです」

「………」

ひっく、と喉が音を立てている

チャンミンは軽く頭をさげて
今度はおとなしく部屋を出た

隣のもう少し小さい会議室に入って
チャンミンはひとり、椅子に雪崩れ込むように座った

「社長、大丈夫ですか?」

「申し訳ない」

社長が " 申し訳ない"という言葉を発したことに
側近たちは驚いた

冷酷な管理者というイメージしかなかったのに

最近の社長は
表情というものが生まれているような感じだ


「お水かなにか、お持ちしましょうか」

「頼みます」

だんだんと落ち着いてきた

ユアンは待ってくれるといった

その言葉がとても安心できた


側近が持ってきた水を一口飲み
チャンミンは椅子に腰掛けて頭を抱えた

ひさしぶりに感じた、ユノだった

僕を見ても、何も感じないのか

あんなに…あんなにも愛し合って
片時も離れず、一緒にいたというのに

もしかしたら、わかっているのではないか

僕の元に戻る手段として
反対派のリーダーなんてやっているのではないか

だとしたら

どうにかして、2人で会えるようにしなければ

チャンミンは側近を呼んだ

「あのリーダーをここに呼んでくれないか
ここで説明を聞く」

「あの、イ・ユアン…ひとりですか?」

「こちらも私1人で話を聞くから」

「それはいけません。
言った言わないの話になると困ります。
誰かが間にはいらなければ」

「公式な約束事は一切しない
個人的になぜあの漁村を守りたいのか
知りたいだけだ」

「しかし…」

「とりあえず、ここへ連れてきてくれ」

「……はい」


2人きりになったら、きっとユノはなにか言ってくれるはずだ

チャンミンは自分の頬を両手で軽く叩いた




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この世の果て 37



ドンホは息をのんだ

チャンミンの瞳が
悲しげに輝いてドンホを責めるように見つめる

あまりに真剣なチャンミンに
ドンホは視線を逸らすことができない

「ユノを…どこにやったの…」

「チャンミン…」

ドンホもしっかりとチャンミンを見つめて
ゆっくりと話しはじめる

「じゃあ、聞くけど」

「なに?」

「2人とも…あの時、生き返ったとして…」

「……」

「元の生活に戻れたと思う?」

「……戻れたよ、もちろん」


「ユノ先輩は…僕に頭をさげに来た」

「……」

「俺が…責任を持って…チャンミンを止めるからって」

「……」

「力を貸してくれって…そう言ったんだ」

「……」

あの日のキスをチャンミンは思い出していた

僕とユノの最後のキス


「ユノ先輩…ほんとうに捨て身で…」

気づいていた

ユノはもう僕が罪を重ねないように

すべてを終わらせてくれようとしたのだ

命をかけて

あのユノの瞳…悲しげで…それでもとても優しい

優しくキスをしてくれた

一緒にこの世の果てまで旅にでるための…キス


「もう、君たちは別々に生きたほうがいいんだ」

「……」

「チャンミン…わかるでしょう」

「…ドンホ…」

「……」

「僕たちの人生に…君を巻き込んだことは
ほんとうに申し訳ないって思ってる」

ドンホは下を向いた

「それは…いいんだ」

ドンホは少し笑った

「僕は…チャンミンが友達になってくれて
嬉しかったんだから」

「……」

「僕が好きでしたことだから…」

「……」

「ユノ先輩が…君を心から愛してるのは
よくわかってる…だけど」

「ドンホ…僕とユノはね…離れたらいけないんだ」

「……」


「お互いが…自分の居場所なんだ」


「……」

ドンホがギュッと目を閉じた

「チャンミン…」

「……」

ドンホは一度大きく深呼吸をして

そしてポツリと話しはじめた


「先に意識が戻ったのは…ユノ先輩だった」


「……」

「蘇生して…すぐだったんだけど
少し、様子が変で…
しばらくしたら記憶に障害があることが…わかった」

「……」

チャンミンはごくりと唾を飲んだ

「自分と家族、友達なんかのことがごっそりと
記憶から抜けていたんだ」

「……」

「思い出せないことに苦しんでたみたいだったけど
そのうち、なんかまわりでヤバイってことになって」

「何がヤバイの?」

「生かしておくのが」

「え?」

「僕がその始末を頼まれた…
けれど…できなくて」

「なんで始末なんて…」

「会社的に…都合が悪かったんだろうね
無理心中なんて…聞こえも悪いし、死んでしまったことにしようと」

「………そんな簡単に」

「会社の権利がチャンミンの所有から他に移らないように
見守ってたのは、ユノ先輩だったらしいし
そういうのもあったんだと思う」

「ふん…なるほど」

「よくわからないけれど」

「元々、ユノの母親、僕の叔母だけど
不貞を働いたってことで、一族とは関係ない人間として排除されてたし」

「……そういう感じだと思う
ユノ先輩がいると、いい思いができない人もいたんじゃない?」

「それで?」

「企んだ」

「……」

「病院を脱走したことにして」

「脱走…」

「僕以外の誰かに、始末されてしまう前に」

「そんな…」

「漁村の上にちょっとした山があって
ユノ先輩なら、ひとりで楽に降りてこれるようなところ
わざと、そんなところを選んだ」

「そこに…放り出したっていうのか」

チャンミンがワナワナと震える

「あの時…それが僕たちにできる
最大限のことだったんだよ」

ドンホの声が悲しげだ

「僕たち?」

「チャンミンとユノ先輩のことを知る人間だ」
刑事さんも、ソン先生も」

「…パク刑事も?」

「チャンミンの意識は戻るかどうかわからなかった
もし、ユノ先輩の記憶が戻ったら、先輩がどれだけ苦しむか…」

「………」

「パク刑事が…そんなことも心配していた」

「……」

そんなに周りの人々が
自分とユノを守ろうとしてくれていたなんて
チャンミンは知らなかった

けれど…


ドンホは静かに話す

「チャンミンが、こうやって僕のところへ来るだろうなってわかってた」

「パク刑事から連絡があった?」

「うん、たぶんそっちへ行くだろうって」

「ユノのこと口止めされたでしょ?」

「いや」

「え?」

チャンミンが意外そうな顔をした

「チャンミンがとても真剣で
見てられないって」

「……」

「もう隠し通すのは無理だろうからって
しかも、ああやって、テレビなんかに出られたら」

「じゃあ…やっぱり」

「多分そうだと思う。状況から考えても」

「……」

「反対している漁村はたしかに
あの時の山の下にあるしね」

「……」

「しかも、あんなに似ていたら…さ」

「ユノ…なんだね…あの男」


「自分で…確かめてみたら」

「……」

「そう言ったのはね、実はパク刑事だ」

「…そう」

「ああやって、表に出てきて、逆によかったんだと思う」

「始末…しにくい…から?」

「うん」

ドンホははーっとため息をついて
そして今度は顔を上げて言った

「会うの?あの男に」

「もちろん、会うよ」

「チャンミン…」

「思い出させてあげる、時間がかかっても」

ドンホが下を向いた

「2人とも傷つくだけだよ…」

「乗り越えられるよ」

「………」

「僕たちは…きっと相手を思いすぎて
道を誤ってしまったんだ」

「チャンミン…」

「愛しているんだ…今もずっと…」

「じゃあ、もし…ユノ先輩が
新しい愛に生きていたら?」

「……」

「2年以上経っているんだ
何があっても、おかしくないじゃないか」

「そのときは…
ユノに選択してもらうよ」

「今から言っておくけれど
僕は魔法使いじゃない、ユノ先輩の記憶を取り戻すとか
チャンミンを好きにさせるとか、そんなことはできないからね」

「必要ないよ、そんなこと」

「……」

「ヒョン…が…」

「……」

「命をかけて、僕のしてることをやめさせようとしたんだよね」

「そうだよ、チャンミン」

「僕は…止めて欲しかったのかもしれない
自分でも、どうしていいか…わからなくて」

「………」

「僕も、ユノが嫌がることは、やめる」

フッとドンホが笑ってつぶやいた

「僕も…誰か、止めてくれる人がいたら」

チャンミンが少し微笑んだ

「僕が止めようか?
あまり説得力がないかもしれないけど」

ドンホも顔を上げて少し笑った

「ありがと、チャンミン
僕を止めようとする人の命が危ないよ
だから、いいんだ」

「そうか…」

「でも、ユノ先輩は地獄まで一緒に来てくれようとしたなんてね、チャンミンがやっぱり羨ましい」

「……」

「僕は…地獄に行くなら1人で行かなきゃ」

すべてを諦めたように
ドンホは笑った

「僕も地獄行きだから、向こうで会うか」

チャンミンも笑った

「え?アハハ…ありがとう」

「……」

「ドンホさ」

「うん」


「僕が友達になってくれて感謝してるって言ったけど」

「うん」

「僕も、友達になってくれて
ドンホに感謝してるよ」

「……」

「……」

「そっか」

「うん」

「よかった、それなら」


2人は笑った

どこかで、意図することなく道を外れてしまって
とんでもないところまで来ている自分たちを

2人は嘲笑った





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この世の果て 36




イ・ユアン

報告書のタイトルに書かれた名前

チャンミンは食い入るように
その書類を一語一句逃さぬように読み進めていった


あの漁村で生まれた男ではなかった

読み進めていくうちに
書類を持つチャンミンの手が震える

2年前

ふらりとあの村にやってきた男

車で山の中まで連れて行かれ
そこで降ろされて、一人でここまで下りて来たなどと言っていたらしい

身分証などはない
イ・ユアンという名前は…


最初は不審に思われたこの男を
村の長老が引き取り面倒を見た、とある


次の一言にチャンミンは全身が震えだした

「記憶障害あり」


まさか

チャンミンはすぐさま、あの男に連絡をとった


***********


「おひさしぶりですね、チャンミン君」

パク刑事はシワの増えた顔で
柔らかく笑った

「……」

寂れた喫茶店

パク刑事が毎日訪れているのだという店へ
チャンミンは1人出向いてきた

古めかしい音楽が流れている

「こんなところまで、何か用事でも?
私は定年退職しているので、もうあなたを追うこともないし、なにかを手伝うこともできないけどね」


「あの頃のことを、事実を知りたい」

「……あの頃?」

「無理心中として扱いましたよね」

「……ああ、あの海辺での、ね?」

パク刑事がため息をついた

「もしかして、チャンミン君」

「はい?」

「あれですか、あのリゾートの反対派」

チャンミンが驚いてパク刑事を見つめた

「似てますよね、私も思いました」

「……」

「でも、違いますよ
ユンホ君は、結局目覚めなかった
彼の心臓が再び動くことはなかったんです」

「僕は…ユノが亡くなった姿を見ていません」

「それは…チャンミン君…」

パク刑事は笑った

「当たり前でしょ。
君だって何ヶ月も意識がなかったんだから」

「ご存知だったんですか?
僕が何ヶ月も意識不明だったってこと」

「……ああ」

「あの頃、まだ、僕を追ってたから?」

「いや」

「……」

「もう、その時は定年迎えてたしね」

「……」

「気になってね、たまに様子だけは
見に行ったりしてたんですよ」

「へぇ」

チャンミンは意外そうに返事をした

「私はね…忘れられなくてね
あの時、君たちのお父さんが階段から落ちた時
病院で会ったよね」

「……」

「ユンホ君が君をね、自分の背中に隠した」

チャンミンの顔が少し歪んだ

「まだ中学生だったのに
幼い君を必死で守ろうとしていた」

「……」

「あの時のユンホ君が、どうにも忘れられなくてね」


忘れていた…忘れようとしていたのに

映像でユノに似たあの男の姿を見てから
人間としての感情が次から次へと湧き出てくるようで

チャンミンは苦しかった


「ユンホ君のお墓参りは…行ってるの?」

「いいえ、まだ一度も」

「行くといいよ、受け入れなきゃいけない事実には
目を背けずきちんと向き合ったほうがいい」

「……」

「辛いだろうけどね、大事なことだ」


パク刑事の話を素直に聞ききたいわけじゃない

そう自分に言い聞かせて
キッと唇をひき結んだ


そして、チャンミンはユノの墓をはじめて訪れた


花束なんか持って来てはいない

そんな気持ちになれるわけがない


豪華な墓だった

広く街が見渡せる小高い丘の上の瀟酒な霊園

十字架の元に、ユノの名前と
その生きた短い年月が記されていた

チャンミンは震える指でそっと
その墓石に触れる

ユノ…

こんなところに…あなたはいるの…

僕をひとりぼっちでこんな世界に残して

目を閉じると、ユノの笑顔が蘇ってくる
忘れようとしても、忘れられない笑顔

もう涙は出ないかと思うほど泣いたのに
それでも目頭が熱くなる

こんな思いはひさしぶりすぎて
胸が痛いくらいだ

瞼の裏に映るユノの笑顔
それを思うと、あのモニターの男は
ただの見間違いなのかもしれない

そんな風に思えて、チャンミンはため息をついた

ちょっとユノに似た男がいたからって
調べさせたり、あの刑事に会いに行ったりして

まったく自分は…


「ご苦労様ね」

ふと、背中でしわがれた声が聞こえて振り向いた

墓地を掃除する老婆が人懐こい笑顔を向けている

チャンミンは軽く頭をさげた


「豪華なお墓よね」

「……」

お節介な婆さんだ

ひとりにしてほしいのに

「ご遺体がないんでしょう?
なにか記念になるものかなんか入れたの?」

「は?」

チャンミンが完全に振り向いて
老婆に向き直った

「どういう意味ですか?」

「だって、ご遺体ないじゃない?
私ね、ここにいたもの、あの時」

「あの時?」

「埋葬だっていうから、片付けたりしたんだけど
でも、弔問客いなかったでしょ
それにご遺体ないまま、墓石設置したの見たわ」

「そうなんですか?」

「何か、記念になるものとか、入れたらいいのにって思ってたのよ。
ご遺体が入ってないお墓はそうするものだから」

チャンミンは訝しげな表情をした

「あなたご親戚じゃないの?」

「僕はその時ここに来れなかったんです」

「あら」

「その時のこと、詳しく教えてもらえませんか?」

「あ…あんまりこういうこと言っちゃダメだったかもしれないわね」

少し慌てた老婆に、チャンミンは財布から
迷わず紙幣を出して、老婆に握らせた


その老婆の言うことが確かだとしたら


ユノはここに埋葬されていない

ユノの遺体はない

墓にないということは、遺体はどこにあるのだ

あの時、救急車が来たはずで

自分たちは二人とも病院に運ばれたはずなのだ

だから、ユノの遺体が不明だなんてことはない

ユノの遺体なんて、ないのだ

なぜなら

ユノは生きているから


チャンミンはすぐに連絡をとった

懐かしいその声

チェ・ドンホ


会えないというドンホの言葉を無視して
チャンミンはドンホが構えている大学の研究室を
強引に訪れた

「会社の偉い人になっても
君は相手の気持ちを考えないところはそのままだね」

「教えてほしい、何があったか」

「唐突になんの話?」

「ユノは…君に頼んだだろ?
二人とも、安らかに死ねるように
処方を頼んだはずだ」

「………」

「………」


「そうだよ」

「ユノが直接、頼みに来たんだな」

「もう、ユノ先輩は嫌になったんじゃないか?
君がしていることに」

「……ちがう」

チャンミンの絞り出すような声に
ドンホは顔を上げた

「ユノは…僕と一緒にいようとしてくれたんだ」

「………」

「僕は…早く人生の時が過ぎて
ユノのところに行くことだけが…夢だ」

「………そう」

さらりと冷たく、ドンホは答えた


「それなのに…」

「……」

「それなのに…全然ユノは迎えに来てくれなかった
何度も僕は…ユノのところに行こうとしたのに」

「そんなことばかりしようとしてるから」

「ドンホはさ」

「……」

「知ってるんだろ?
あの墓にユノはいなかった」


ドンホは驚いてチャンミンを見つめた


「いなかったんだよ」

「……」

「君は…知ってたんだろ?ドンホ…」





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